2015年9月24日、女優の川島なお美さん(享年54歳)が亡くなってから早1ヶ月以上が経ちました。
病気の事実をひた隠しにして、最後まで女優として生きた川島なお美さんに、多くの人から弔いの言葉がかかりました。
そして今回の訃報で報道陣への丁寧な応対で注目を集めた、川島なお美さんの夫である鎧塚俊彦さん。
鎧塚俊彦さんは最愛の妻を失った失望感でいっぱいのはずなのに、報道陣の前では常に気丈に振舞っていたのです。
そこで、鎧塚俊彦さんの人格の良さが伝わるエピソードを耳にしました。
今回は、鎧塚俊彦さんが報道陣に見せた気遣いや、その心境についてまとめました。
鎧塚俊彦さんが報道陣に見せた気遣いとは?
2009年に川島なお美さんと結婚して以来、子供はいなくとも夫婦水入らずの時を過ごし続けてきた鎧塚俊彦さん。
芸能界でもおしどり夫婦として知られていました。
そんな二人ですから、川島なお美さんが亡くなった時の喪失感はとても大きなものだったと予想されます。
夫婦揃って報道陣の前に現れたのは、川島なお美さんが亡くなる10数日前のこと。
直接的な言い回しですが、ほとんど骨と皮しかない風貌の川島なお美さんに対し、報道陣から辛い仕打ちを受けることもありました。
病院で待ち伏せしていた記者に、遺書やお墓について聞かれた川島なお美さん。
まだ生きているのに…!
川島なお美さんもブログで心外だったと記していましたが、そばにいる鎧塚俊彦さんだって同じように報道陣を嫌に思ったはずです。
ですが、川島なお美さんが亡くなった前後で自宅前で待機していた大勢の報道陣に対し、鎧塚俊彦さんは怒りをあらわにするどころか丁寧な対応で報道陣を驚かせました。
普通、訃報や離婚で当人が報道陣に応対するケースはあまり見受けられないのですが、鎧塚俊彦さんの場合は自宅前に構えていた報道陣に対し気丈に振る舞い、自分自身のコメントをしっかり残したのです。
しかも、鎧塚俊彦さんの気遣いはそれだけではないのです。
なんと、川島なお美さんが亡くなった翌日には自宅前に構えている報道陣にピザなどの飲食を差し入れるなどして労をねぎらいました。
自宅前で何時間も、何日も構える報道陣の疲労に配慮したのです。
本来なら、最愛の妻の死でそこまで気遣うことなんてできませんよね。
ですが、鎧塚俊彦さんの場合は川島なお美さんの死について事前に覚悟をしていましたし、川島なお美さんが最後まで女優を貫き通したように、応対についても最後まで責任を持って行っていたのではないかと思われます。
鎧塚俊彦さんの人格の良さが伝わるエピソードですよね。
時間、場所を問わず報道陣に応対していたのも、川島なお美さんの死について自分の言葉できちんと伝え、変な方向に報道されるのを避けたかったからなのかもしれません。
ネットによると、報道陣はこの応対に対し頭が上がらなかったと口々にしているようでした。
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鎧塚俊彦さんの今後について
最愛の妻の死から1ヶ月後。
10月27日に、鎧塚俊彦さんは本職であるパティシエとしてロカボスイーツの講習会を行いました。
これは半年ほど前から決まっていたイベントのようで、鎧塚俊彦さんのFacebookによると多くの報道陣が来場したとか。
「私ごときの講習会に多数のメディアの皆様が来て頂き恐縮至極であります」
「報道頂いている内容は全て私がお話しした事で何ら間違いはございません」
というように、本来は川島なお美さんの死後の様子を取材するためだけに来た報道陣にこれまた腰の低い丁寧なコメントを残したのです。
鎧塚俊彦さんはこれからもパティシエとしてさらなる飛躍を遂げていくことでしょう。
そして再婚の可能性についてですが、川島なお美さん本人が「できれば一緒のお墓に入りたい」と話していたことからこれからの人生独り身を貫くのではないかと思います。
鎧塚俊彦さんの中で、川島なお美さんはいつまでも生き続けるのかもしれませんね。