映画「ヘルタースケルター」など、話題作も多い沢尻エリカさん。
数年前に起こしたあの事件で世間からたくさんの批判を浴び、それから現在に至るまで、
復活するのにかなり努力をされたのではないでしょうか・・・
当時のことを振り返りながら沢尻エリカさんを大解剖していきます!
プロフィール
沢尻エリカ
誕生日 1986年4月8日
本名 澤尻 エリカ
出身 東京
事務所 スペインにある個人事務所に所属。
沢尻さんが猛烈な批判を浴びた事件というのは、そう、みなさんご存じ「別に」事件です。
当時、沢尻さんは21歳。
「パッチギ」や「1リットルの涙」などでブレイクし、演技派の女優として引っ張りだこだった時期です。
そんな中、沢尻さんはある舞台あいさつでやらかしてしまったのです・・・!
映画「クローズド・ノート」での舞台挨拶の沢尻エリカさん
この時、沢尻さんはずっとご機嫌ななめ。
視聴者も見ていて、きっとヒヤヒヤしたでしょうね。
アナウンサーが質問を投げかけても、睨みつけたり、
そっけなく、冷たい態度をとっていたので、事務所の先輩である竹内結子さんもタジタジ・・・。
視聴者からは、アナウンサーがかわいそう、なんていう意見もありました。
見かねた監督が、
「沢尻さんがクッキーをみんなのために差し入れに焼いて持ってきてくれた」
と、撮影中の沢尻さんのエピソードを交えてフォローしようとしたのが伝わってきますが、
アナウンサーの方がその時のことを聞くと、「別に。」とふてくされた表情でバッサリ・・・。
結局、この舞台挨拶で沢尻さんが発した言葉は3つだけ。
「(不機嫌な態度で)皆さん今日はどうもありがとうございました」と、
一番思い入れのあるシーンは?と聞かれ、「特にないです」。
そして「別に」・・・。
こんな衝撃映像なかなかないですよね~!
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沢尻エリカの生い立ちが波乱万丈だった!
沢尻エリカさんのあのきれいな顔立ち、実はハーフなのですが、
お父さんは日本人、お母さんはフランス人でした。
お父さんは競走馬を数十頭所有していたほど、裕福な家庭だったそうです。
沢尻さんは小学校6年生の時には雑誌「ニコラ」のモデルをしていたんですって。
でも、中学生の時、お父さんを病気、お兄さんも交通事故で亡くし、辛い思いをされています。
しかし、芸能界をやめることはなく仕事を続けていました。
2005年、沢尻さんが19歳の時には映画「1リットルの涙」がヒット。
純朴な役柄で、「別に」事件の沢尻さんからはほど遠いイメージでした。
そして翌年、映画のヒットやゴールデンアロー賞を受賞したことで
注目を浴びた沢尻さんのところには大きな仕事がいくつも舞い込むようになります。
主演を含む5本の映画、そして歌手デビューの話・・・
これをこなすのは並大抵ではありません。
映画のほうは「シュガー&スパイス 風味絶佳」、「オトシモノ」、「天使の卵」、「手紙」など
役作りにセリフ覚え、睡眠時間も削って主演女優の責任を負いながら連日連夜、頑張らなければいけなかったと思います。
歌手としては「タイヨウのうた」という曲で、ボイストレーニング、初めてのレコーディングなど・・・
相当な負担ですよね。
20歳の女の子にはとてつもない重労働だったと思います。
事務所側ももう少しセーブさせるなどしても良かったんじゃないかなーと思いますが。
そう考えると、忙しい中、大きなストレスを抱えながら
差し入れにクッキーを焼くなんて、優しい配慮ができる人でないとムリだと思います。
2009年には当時所属していたスターダストプロモーションとの専属契約が解消されて、芸能活動を休止していましたが復活。
あれからずいぶん経ちますが、だんだん沢尻さんの当時の悪いイメージは抜けてきたみたいですね。
芸能界で一度あんなスキャンダルになったら、なかなか元に戻すのは難しいと思いますが、それもよほどの努力をされたのではないでしょうかね。
a-studio【沢尻エリカのリアクションが可愛すぎて好きになる動画】
映画「ヘルタースケルター」も興行収入が20億円を突破し、アジア各国でも公開され大ヒット。
日本アカデミー賞優秀主演女優賞も受賞しました。
いや~今後の沢尻さんの活躍も楽しみです!